石巻市の古本屋 ゆずりは書房

宮城県石巻市で古本の買取をしています

明治時代の石巻の思い出

石巻の歴史に関心のある方ならご存じのとおり、江戸時代、北上川流域の物産を江戸へ輸送するには舟運が用いられた。北上川の沿岸には多くの河港があったという。

 

もっとも舟は物資の輸送には適していたが、旅行の足としてはあまり用いられなかったらしい。北上川の周囲は山ばかりで景色が単調なため、舟旅といっても実に退屈なものだったと思われる。また舟の移動は時間がかかったため、川筋の街道を歩く方が早かったそうである。

 

以前偶然仕入れた本の中に「流域をたどる歴史二 東北編(ぎょうせい)」という書籍があった。見た目は大変地味な本であるが、北上川流域のことも書かれている。石巻についてもちょっと触れているので内容を紹介してみたい。

 

明治時代に水沢から舟で石巻へ向かった時の思い出話が、昭和30年代になり岩手県の県南新聞に掲載されたという。語り手の女性は昭和34年当時91歳。彼女が兄や姪とともに石巻へ向かったのは明治16年のことである。

 

米を石巻へ運んだついでに、渡波の塩田や稲井の採石場を見学したという。石巻の舟宿は住吉にあり、そこに渡波の女性達が魚や磯のものを売りに来て、それが大変しつこく嫌でたまらなかったと語っている。私も渡波で生まれ育っているだけに、売り込みの様子を想像するとなんだかおかしな気分になる。またメノケという魚の身が入った味噌汁を食べさせられ、嫌な思いをしたと語っている(私も魚のぶつ切りが入った汁物は苦手だが、この思い出はあくまで個人の感想ではないだろうか)。

 

まだまだ風紀がよいとは言えない時代である。渡波や川沿いの舟宿で仲良くなった女性が水沢まで追いかけて来て問題になり、ついに奥さんの方を追い出してしまったという出来事があったらしい。当時は女性に関するいざこざがずいぶんあったと語っている。

 

舟は風があれば帆を張って進むことができるが、風がやんだら舟を降りて陸上から網で舟を引っ張らなければならない。橋に差し掛かったら、帆をたたみ帆柱を倒して橋の下をくぐらなければならなかったという。とにかく石巻への舟旅は楽しいものではなかったようで、水沢に帰り着いたら飛ぶように自宅へ駆け込んだとのことである。

 

ところで水沢といえば高野長英の出身地である。高野長英の叔母が石巻の沢田で医業をしていた遠藤家に嫁いでおり、長英自身も叔母の嫁ぎ先に訪れているようだが、この縁談はやはり北上川の舟運が繋いだものだったのだろうか。

 

※この記事は、石巻かほく「つつじ野」令和6年2月16日号に掲載された拙稿を加筆訂正したものです。

 

※画像は昭和27年頃の住吉小学校付近

出典:国土地理院ウェブサイト

https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1171719&isDetail=true

今では土手ができて跡形もなくなったが、住吉小学校近くに船溜まりがあるのが確認できる。江戸から明治時代にかけてもこの辺りに舟を停泊していたのだろうか。

そして舟の停泊地がこの場所にあったことは、旭町に遊郭があったことと関連しているのだろうか。