石巻市の古本屋 ゆずりは書房

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旧稲井町にあった「金山小学校」について

石巻方面から女川町へ向かうには現在2つのルートがある。1つは国道398号線をそのまままっすぐ東へ向かうルート。もう一つは県道234号線(稲井沢田線)を東へ進み、峠を越えてつづら折りの道を下ってから398号線に交わるルートである。石巻北部方面から女川町へ向かうならこちらのルートを取ることだろう。

 

峠の辺りにライフル射撃場があるのをご存じの方も多いと思う。実はここは小学校の跡地である。昭和56年3月までこの場所に「金山小学校」という昔ながらの木造校舎の学校が存在した。通学区は旧稲井町の沼津、沢田、流留の3区である。廃校後もしばらくは校舎がここに残っていて、当時私も中へ入ってみたりした。

 

この辺りの道路は交通量が多く、児童が通学するには適さない場所のように思えるかも知れないが、かつての子供たちは周辺の山道を通り抜けて金山小学校まで通っていた。

 

私が通っていたのは別の小学校だったが、従姉が昭和56年まで金山小学校に通っていたため、流留方面からの通学路を教えてもらい歩いてみたことがある。

 

当時の通学路は沢田の大畑という集落の奥から登って山道に入るルートであり、現在その山道の入口はこのようになっている。

出口はこうなっている。こちらの方は県道234号からも見ることができる。

学校はここの道路向かいすぐにあった。

4年前に神奈川県から石巻に戻って来た時、懐かしくなってこの道を歩いてみた。

山道の中は倒木が多く、くぐり抜けたり跨いだりしなければ通れなかったが、道自体はまだしっかり残っていた。途中に私設の神社があり、その周辺はきれいに整備されていた。

 

昭和56年の廃校当時、この学校は80年前からあると教えてもらった。その歴史は町史(稲井町史)で知ることができる。

 

金山小学校というのは沼津、沢田、流留3地区それぞれの分教場の統廃合を経て出来たという歴史があるため、沿革は少し複雑である。このうちの沼津分教場の最終的な移転先が現在の金山であるらしく、明治29年には大瓜小学校金山分教場と称したという。いつから金山に分教場があるのか町史からはよく読み取れない。

 

流留分教場が流留の地に建設されたのが明治26年で、尋常3年まではここへ通い、4年以上からは金山へ通わせたと町史にある。だから少なくとも明治26年には現在の金山に教場があったのだろう。あの山道の通学路もこの頃から存在したのかも知れない。

 

金山分校が独立の小学校になったのは明治36年である。明治42年に校舎を増築し、昭和8年旧校舎を改造して木造2階建となる。この時の姿が私も見た木造校舎である。

 

そして昭和56年3月、統廃合により金山小学校はなくなった。この時に大瓜小学校と真野小学校もなくなっている。沼津地区の子供は稲井小学校に、沢田地区と流留地区の子供は万石浦小学校に通うことになった。だから昭和50年以降に生まれた人は金山小学校に向かうかつての通学路の存在を知らないことになる。

 

ここもかつての通学路。大畑集落から山道へ向かう途中の道。

道の形状はどうにか留めているが、すでに忘れられた道になっている様子が伺える。