石巻市の古本屋 ゆずりは書房

宮城県石巻市で古本の買取をしています

布施辰治とキリスト教について

私は古本屋三十五反の櫻井清助氏の影響で古本屋を始めたためか、櫻井氏のライフワークだった布施辰治研究にも関心を持っているように思われている節がある。しかし私が布施辰治と櫻井氏との関わりのことを知ったのは7年前に石巻へ戻って来てからのことで、そ…

石巻市渡波の大宮神社について

私の地元石巻市の渡波(わたのは)という地区に、通称「大宮神社」と呼ばれている神社がある。ちゃんと宮司が居住しており、決して小社ではない。地元では広く崇敬を集めている神社である。 この神社の正式名称は「伊去波夜和気命神社」という。読み方は、渡…

住宅地図に残された旧金華山古道の姿

地元で古本の買取をやっていると、たまに昔の住宅地図が手に入ることがある。それらは売らずに自分用として手元保存し、個人的な調べものに使用している。 つい先日、1977年(昭和52年)の石巻市住宅地図を入手することができた。 昭和52年は私が4才だった年…

旧金華山古道を歩いてみた

現在渡波方面から牡鹿半島に向かう時は風越トンネルを通過する。しかしこのトンネルが開通したのは平成10年とずいぶん最近のことである。それ以前は風越トンネルの上にある曲がりくねった山上の道路を通って牡鹿半島へ向かっていた。この旧道は道としては今…

明治時代の石巻の思い出

石巻の歴史に関心のある方ならご存じのとおり、江戸時代、北上川流域の物産を江戸へ輸送するには舟運が用いられた。北上川の沿岸には多くの河港があったという。 もっとも舟は物資の輸送には適していたが、旅行の足としてはあまり用いられなかったらしい。北…

石巻の書肆「三春屋平吉」について

江戸時代の仙台は、江戸・京都・大阪の三都に次いで出版活動が盛んな地だったらしい。 渡邊洋一氏「仙台の出版文化(仙台・江戸学叢書)」によると、国分町十九軒と呼ばれていた場所(現在の広瀬通と国分町通の交差点の辺りらしい)に複数の書肆が軒を連ねて…

石巻の護良親王伝説はなぜ生まれたのか

宮城県石巻市の湊という地区(私が住む隣町)に南朝伝説が伝えられている。後醍醐天皇の皇子護良親王が密かに鎌倉から逃れ、船で石巻に辿り着きそこで一生を終えた、その場所が現在の一皇子神社であるという内容である。 「奥羽観蹟聞老志補修篇巻之九」とい…

石巻市渡波の大和田地区について

国土地理院ウェブサイトより 地理院地図 / GSI Maps|国土地理院 石巻線に乗り渡波駅から稲井駅へ向かう途中で狭いトンネルを抜ける。名を「大和田トンネル」という。トンネルを稲井駅側に抜けた先にある集落が「大和田」という地区で、トンネル名はそこから…

石巻地方の「板碑」について

宮城県の石巻地方は中世の板碑が多い場所として知られている。 板碑といっても木の板切れに彫った碑ではない。石に刻んだもので、こういうような奴である。石巻では意識して探せば割と容易にお目にかかることができる。 この板碑というものは必ずしも日本各…

宮城県石巻市の南朝伝説について

宮城県石巻市の湊という地区に「一皇子社」という神社がある。 この神社には、後醍醐天皇の皇子である大塔宮護良親王(昔は「だいとうのみやもりながしんのう」と読むと習ったが、現在では「おおとうのみやもりよししんのう」と読むのが定説らしい)が鎌倉か…

宮城県牡鹿半島の歴史について

宮城県の東端に「牡鹿半島」という太平洋に突き出た半島がある。 この半島は行政単位としては石巻市と女川町に所属する。起伏が大きく平地が少ないリアス式海岸から成る半島だが、あちこちに小さな浜辺があって、そこで人々が生活している。それぞれの浜へ行…

石巻市渡波にあった水産会社「丹野水産」について

石巻市渡波地区にある水産加工業者で現在一番有名な所と言えば、おそらく末永海産なのではないかと思われる。この会社は令和2年に内閣総理大臣賞を受賞している。私の実家と同じ町内にある。 しかし昭和の終わり頃だと、この町内で最も知られていた水産会社…

金華山古道について(渡波町内)

最近石巻図書館で「大正~昭和初期 空撮の旅 仙台・宮城鳥人記」をいう本を読んだ。宮城県初の民間飛行士である高橋今朝治が戦前に複葉機から撮影した写真について解説を付けた本である。 その中に、私の実家がある石巻市渡波町の昭和3年頃の空撮写真が掲載…

流留渡波塩田のその後について

宮城県石巻市の渡波(わたのは)という町には江戸時代から昭和34年まで塩田があった。 この塩田は江戸時代には仙台藩における塩の約37%を製塩していた。昔の渡波は漁業と塩業の両方でかなり活気があったらしい。 昔の製塩は、濃縮させた海水を釜で煮詰めて…

高野長英と石巻市沢田日影山について

車で国道398号を通って女川町へ向かう途中に「沢田(さわだ)」という地区がある。 山と万石浦に挟まれた場所であるため広い集落ではない。通称では、万石浦側を「表沢田」山の反対側を「裏沢田」と呼ぶ。 私の母方の祖父母達が戦後この辺に移り住んで来たの…

根岸本郷とライオン山について

今でもそう呼ばれているのか分からないが、子どもたちが「ライオン山」と呼ぶ山が近所にある。たしかに樹々がたてがみで、岩肌がライオンの彫深い顔を彷彿させていると思えなくもない。このように岩肌がむき出しになっているのは、ここが採石場の跡だからで…

旧稲井町にあった「金山小学校」について

石巻方面から女川町へ向かうには現在2つのルートがある。1つは国道398号線をそのまままっすぐ東へ向かうルート。もう一つは県道234号線(稲井沢田線)を東へ進み、峠を越えてつづら折りの道を下ってから398号線に交わるルートである。石巻北部方面から女川町…

佐須浜の「山居」について

宮城県石巻市に渡波(わたのは)という町がある。ここは私が生まれ育った所である。 宮城県の東部に牡鹿半島があるが、その付け根に万石浦という入江がある。渡波という町はその入江を挟んだ牡鹿半島の対岸(西)に位置する。基盤産業は水産業である。語尾が…

石巻川開き祭りの始まりについて

私が住む宮城県石巻市では、毎年8月に「石巻川開き祭り」という打ち上げ花火を伴う祭りが開催されている。大正時代から続いており、今年で100回目となる。石巻の人であれば大変なじみ深い祭りである。 子供の頃、湊地区の御所入という場所に父の友人が住んで…

平家落人伝説と私

宮城県仙台市大倉にある定義山(定義如来西方寺)は平家落人伝説が伝わることで知られている。平家滅亡後、平貞能(さだよし)がこの地に移り住んだという言い伝えである(定義は「じょうぎ」と読むが、「さだよし」とも読める)。 このような言い伝えが残る…

金華山古道について(蛤浜まで)

宮城県石巻市大街道という町の国道398号線沿いに、「金華山ラーメン」という古いタクシー会社の建物を改築した食堂がある。この店名は牡鹿半島の霊峰金華山との関わりに由来するというよりも、おもての道がかつて「金華山道」と呼ばれていたことから取ったの…

仙台アエルの古本市に出店中

「丸善仙台アエル店20周年記念バーゲンブックフェア」と題しまして、仙台アエル1階アトリウムで開催中の古本市に出店しています。 2022年9月6日から同20日まで。

祝田の角田幸吉のことについて

地元が産んだ明治生まれの弁護士で「角田幸吉」という人物がいる。 wikipediaには単に「宮城県に生まれる」と記載されているが、角田が生まれ育った場所は石巻市渡波の祝田(いわいだ)浜という所である。牡鹿半島の付け根、サン・ファン館へ向かう途中にあ…

石巻にあった古本屋「三十五反」について(3)

三十五反のことをさらに調べたいと思い、この本を購入した。 「別冊東北学5 特集:壁を超える(2003年)」 この号に「追悼 櫻井清助」という記事があるのを知り、取り寄せたのである。 記事を書いた人は黒田大介という方で、90年代に櫻井氏の布施辰治研究を…

石巻にあった古本屋「三十五反」について(2)

以下「」内は「『弁護士布施辰治誕生七十年記念人権擁護宣言大会』関連資料」に櫻井氏が寄せた文章における記述である。 「1981(昭和56)年、わたしは郷里に三十年ぶりに帰ってきて小さな古本屋を始めた」 という記述が突然出て来た。とすれば、櫻井氏が石…

石巻にあった古本屋「三十五反」について(1)

古本業をやっていると物珍しげに見られることが多い。 以前石巻市内の買取先で、大学教授の方から「こんな片田舎でなんでこういう仕事に…」と言われたことがある。また別の方からも、つい先日「貴重なお仕事ですね」と言われてしまった。 私は平成の大部分を…

日露支日常用語解 陸軍經理學校研究部編 昭和15年

主に野戦時に使用されるやり取りを、日本語・ロシア語・中国語の3言語でまとめた文例集です。太平洋戦争前夜の昭和15年に発行。珍しい本だと思います。 ★不要な本を処分したい…という方はこちらから

斯氏教育論 ハーバート・スペンサー原著 明治21年

訳者は尺(せき)振八という人物。原著書を訳す際、「sociology」の訳語として「社会学」」という言葉を日本で初めて使用したそうです。 ★不要な本を処分したい…という方はこちらから

両約全書自語相違 原著者:ヘンリー バル 明治8年

売れてしまいましたがこんな本も扱ってました。 明治初期の聖書に関する和装本です。 ★不要な本を処分したい…という方はこちらから

欧洲殊に露西亜における東洋研究史 昭和十二年一月 外務省調査部 調第八九号

本書はそのテーマにおいて既にユニークであるのみならず、殊にロシア人の東洋経略史と東洋研究史に全体の半ばを割いている関係上、我国東洋学徒のみならず政治外交の実際家に教ふるところ決して些少ならざることと信ずる。敢えて上梓する所以である。 ↑↑↑外…