石巻市の古本屋 ゆずりは書房

宮城県石巻市で古本の買取をしています

平家落人伝説と私

宮城県仙台市大倉にある定義山(定義如来西方寺)は平家落人伝説が伝わることで知られている。平家滅亡後、平貞能(さだよし)がこの地に移り住んだという言い伝えである(定義は「じょうぎ」と読むが、「さだよし」とも読める)。

 

このような言い伝えが残る山間集落が宮城県内にはいくつかある。黒川郡大和町の升沢という集落もその一つとして知られている。この地にあった早坂四家という旧家が平家落人の子孫だったと伝えられている。

県道147号を山形方面へ進むと、ある地点から人家がぷっつりと途絶える。やがて風早峠という所を越えると視界が急に開ける。この地が升沢で、2000年頃まで平家落人伝説を伝える集落があったという。集落移転事業により今ではここに家々はないらしい。

 

実は、私の祖父が生まれ育った集落にも平家落人伝説が伝わっていた。

 

祖父が生まれ育った場所は旧宮崎町の寒風澤(さぶさわ)という集落である。

県道262号を山形県へ向かって進み、旭地区を抜けると道路沿いの人家がまばらになりだす。そのずっと奥に祖父の実家がある。家は現在も残っている。

祖父の実家の少し奥にさらに家が2軒あるが、それを最後に山形県に入るまで人家はない。

 

祖父の実家の裏手に沢が流れている。私の先祖はこの沢水を頼りにこの地に移り住んだのだろうと想像される。家の台所の板間の下にも沢水が流れていて、それで洗い物を行っていたと聞いている。

 

この辺りは山形藩との境であるため江戸時代には番所があって、私の先祖が番所足軽として取り立てられている。その記録が残っているため、1683年当時の先祖の名前が分かる。

 

「宮崎町史」には、この寒風澤という地に残る平家にまつわる言い伝えが掲載されている。

それによると、平貞能定義山に移り、その弟の平照盛という人が、寒風澤の近くにある大倉山という所に住んだとある。大倉山には実際に屋敷の跡が残っているそうである。

 

平照盛という人が実在したかどうかは私はまだ確認できていない。いずれにしても、その子孫を称する人たちが今の寒風澤に移り住んだのは寛永3年のことであるという。

私の本家もその中の一家として、江戸時代から今に至るまで山間部での生活を続けて来た。

 

ところで私の祖父は本家の長女の子供であり、祖父の母はよそから婿を迎えているため、今私が名乗っている苗字は女系のものである。婿の旧姓は早坂なので、私の男系の先祖を辿れば早坂さんとなる。升沢の早坂四家とつながりがあるかどうかは分からない。

 

祖父の実家にほど近い旧寒風澤分校にて。