石巻市の古本屋 ゆずりは書房

宮城県石巻市で古本の買取をしています

金華山古道について(蛤浜まで)

 宮城県石巻市大街道という町の国道398号線沿いに、「金華山ラーメン」という古いタクシー会社の建物を改築した食堂がある。この店名は牡鹿半島の霊峰金華山との関わりに由来するというよりも、おもての道がかつて「金華山道」と呼ばれていたことから取ったのだろうと勝手に推測している。

 そこから398号線を女川方面に向かい、鰐山へ向かう登り口の手前まで来ると「金華山道標」という碑が建っている。この辺りは今では更地になっているが、以前は七十七銀行穀町支店があったらしい。この道標に「大金寺迄四十八丁」と記されている。大金寺とは金華山のことで、この地点から金華山までの距離を示している。鰐山への坂道が金華山へ向かう最初の坂となる。鰐山自体は標高70mほどのなだらかな丘のような山だが、渡波の祝田から続く牡鹿半島の山々に至ると、金華山行きは難所越えの連続となる。

 以前このブログで、祝田が生んだ戦前の法学博士角田幸吉のことを書いた。角田さんという家は現在でも角田幸吉が育った辺りにあるらしい。場所は祝田の大浜と言って、私の実家からだと万石浦を挟んでちょうど対岸辺りに位置する。石巻鮎川線が整備された現在から見ると一見外れた場所のように思えるが、昔は祝田から浜辺の道をずっと通って大浜まで行けたようなのである。(佐藤雄一氏)

 この大浜という場所が牡鹿半島の山々に分け入る起点となる。なんとこの海辺の浜から、ほぼ一直線に風越峠に向かって登っていったそうである。標高124m。垂直にも感じられる斜面。濃い緑の線がその道かと思われる。

   

 祝田から金華山へ向かう途中にこういうルートがあったことは以前郷土資料で読んではいたが、普段車で通るような場所ではないため、あまりイメージが沸かなかった。最近地元の郷土史家からお話を伺い、ようやく明確になった。地図で見ると、牡鹿半島の太平洋側へ抜けるには確かにこのルートを辿るのが最短距離であり、合理的であると思う。

 山を下りてから蛤浜へ向かい、そこからまた山へ分け入る。はまぐり堂を左手に見る一見なんてことない浜辺の道路も、れっきとした古道で、金華山へお参りするための道だったのである。

 私もごくたまに牡鹿半島方面へ車で出かけることがある。今では蛤浜辺りであればすんなりと着いてしまうが、これが明治頃までは全くお気楽でな話ではなかったのである。

 いや、今でも風越トンネルに至るまでの急カーブにはかなりのストレスを感じることがあるし(整備が進んでいるが)、反対側の佐須の浜から小竹浜方面に向かう道路に関しては怖くて一度も車で走ったことがない。(なお昔の陸路は、佐須の浜から山居という場所に登り、そこから小竹浜へ下りるルートだと思われる。)

 牡鹿半島の交通事情(陸路)が昔はどうなっていたのか長年気になっていた。地元民としては面白いテーマなので引き続き調べていきたい。