古本業をやっていると物珍しげに見られることが多い。
以前石巻市内の買取先で、大学教授の方から「こんな片田舎でなんでこういう仕事に…」と言われたことがある。
また別の方からも、つい先日「貴重なお仕事ですね」と言われてしまった。
私は平成の大部分を東京で過ごしている。当然古本屋は見たことがある。
だから東京にいたことを話すと大体納得してもらえる。
2021年現在、石巻市内に「昔ながらの古本屋」は存在していないと思う。
だから物珍しく思われるのも仕方はないが、私自身は実は、その「昔ながらの古本屋」をこの石巻で初めて知った。
その店の名前は「古本屋三十五反」という。
三十五反とは、仙台米を江戸に運ぶのに用いられた千石船の帆のサイズのことである。(民謡由来)
石巻人であれば、この言葉を屋号に冠することに特に違和感は感じない。
古本屋三十五反は石巻駅前の鋳銭場という場所にあった。
私はこの店を高校1年生の時に偶然知った。
店構えはまるで古本屋らしくなかった。一見すると古い倉庫にしか見えない。
古本屋の看板は入口脇に出ていたが、勇気を出して敷地内まで入らないと目につかない。
開放感というものがまるでない閉鎖的な出入り口。
中もやはり倉庫のように薄暗い。
蔵書の数はかなりあったように思う。
奥の方を覗いてみるとお座敷っぽい空間があり、なぜか生活感まで感じられた。
私はこの三十五反に文字通り「通い詰め」た。
当時の私は店主と話すことがあっても二言三言程度だったので、この店主から古書について何か薫陶を受けたということはない。
しかし私は明らかにこの店から強い影響を受けた。
上京とほぼ同時に神保町に通い始めたのだから。
まあでも私も、三十五反のご主人は石巻という町でなぜ古本屋という珍しい商売を始めたのだろう?と思う。
およそ昭和の石巻の人間が思いつくような商売ではないからだ。
上京してからは帰省した時に一度だけ三十五反に行ったと思う。たしか平成一桁の頃。
そしていつしか店はなくなり、跡地は駐車場になっていた。
さて私は、日本古書通信社「東北の古本屋」取材時に、古本屋三十五反が自分にとって古本屋に触れた最初であったと語った。
実際の三十五反を知っている人にとっては強い印象が残っているらしく、
「東北の古本屋」の私に関する記述を受けて「石巻 まちの本棚」さんがフェイスブックページでこのような文章を書いてくださっていた。
https://www.facebook.com/ishinomaki.machinohondana/posts/2932870970306889
(この文章を書いた方とは、今年の石巻一箱古本市の際に三十五反について少し話をしていると思う)
そんなこんなで、私も三十五反のことを色々調べてみたくなった。
「『弁護士布施達治誕生七十年記念人権擁護宣言大会』関連資料」
布施辰治資料研究準備会編(2001年刊)
ここで「布施辰治」の名前が出て来る。石巻でも知らない人は多いのかも知れない。
布施は明治13年に石巻の蛇田村に生まれ、明治法律学校を卒業して弁護士になり、中央で活躍した人物である。
ネットで調べると詳しい経歴が出てくるが、いわゆる人権派弁護士の走りに当たる人物だ。
「東北の古本屋」でも語ったとおり、古本屋三十五反の店主は布施達治の研究家であり、顕彰活動まで行っている。
そして上の資料に、三十五反の店主が文章を寄せているのを発見したのである。
店主自身のことについてもほんの少し触れられていたため、石巻で古本屋を始める前のごく簡単な経歴が微かに浮かび上がって来た。
古本屋三十五反の店主は「櫻井清助」という名前であった。(2へ続く)